三つのお願いきいてもらおう


「……いやに現実感がある夢ね」
 寝惚け顔で、メルク・グラードは小さく呟いた。確かに、彼女がそう呟くのも仕方の無いことだろう。
 普通、ベッドで眠りに就いたら、よっぽど寝相が悪くない限り、そのベッドで目を覚ますものである。
 しかし、メルクが目を覚ました所は、寝室のベッドどころか、見知らぬ人間が乗っている馬車の中だったのだから……。
「なんで、馬車になんか乗っているのかしら。まあ、夢なんだから、どうでもいいけど」
 メルクがブツブツ独り言を呟いていると、
「やっと起きられましたか」
 メルクの向かい側にいた女性が声を掛けてきた。「このまま起きなかったら、どうしようと思いましたよ」
「……あなた誰?」
「ああ、これは失礼いたしました。私、今回の旅行の案内役をすることになった、ハージルという者です」
「旅行?なんの?」
「寝惚けないで下さい。このツアーのことは、既にグラード氏に聞いているのでしょう?」
「グラード氏?」
「あなたのお父様ですよ」
「お父さん……もしかして!この馬車はクエスト・トラベルの……」
「そうです。クエスト・トラベルの貸し切り馬車です」
「やっぱり……。でも、なんでうちの会社の貸し切り馬車なんかに……」
「グラード氏は、あなたに全てを任せると言ってましたけど……」
「任せる?まさか……」
 メルクは嫌な予感を感じ始めた。
「ああ、そう言えば、出掛けにグラード氏から手紙を預かりましたわ。メルクさんが起きたら渡すようにと」
 メルクは嫌な予感に包まれたまま、彼女から手紙を受け取ると、中身を読んだ。
『愛しの娘メルクよ、これを読む前から、大体の予想はついてると思う。その通り、今回もお前に添乗員をやってもらうことになった。詳しい話はハージルさんに聞いてくれ。
 追伸 寝ているお前を運ぶのは結構きつかったぞ。もう少しダイエットするように』
「添乗員……やっぱり」
「何も聞いてなかったのですか?」
「……何も聞いてなかったんですよ」
「それではツアー内容も知らないのでは?」
「……その通りです。どうせお父さんのことだ、とんでもないツアーなんでしょう?」
「まあ、確かに前代未聞だとは思いますが」
「で、今回は何を見に行くの?ドラゴン?悪魔?吸血鬼?」
「魔神です」
「魔神?」
 メルクは拍子抜けた顔をする。「あの壺に閉じ込められていて、助けると三つの願いを叶えるっていう……あの魔神のこと?」
「多少違いますがそんな所です。本当にグラード氏から何も聞いていないのですね」
 ハージルはため息混じりに言うと、一枚の紙を取り出した。「これを見て下さい」
「なにそれ?」
「このツアーのパンフレットですよ」
「ああ、それはどうも……」
「全く……添乗員がツアー内容すら知らないとは、グラード氏の考えていることは分かりませんわ」
 大きなため息をついているハージルを横目で見ながら、メルクはパンフレットをランプの下に持って行く。そうしないと暗すぎて読めないのだ。
「なになに……魔神に……!」
 そこまで読んだところでメルクは顔が凍りついた。「……ハージルさん」
「何ですか?」
「これ、冗談ですよね?」
「何のことです?」
「このパンフに書いてあることですよ!」
 メルクはパンフレットをハージルに押しつけた。「何ですか?この『魔神に三つのお願いきいてもらおう・ツアー』ってのは!」
「……そのままの意味ですけど」
「そのままって……冗談でしょ?」
「冗談じゃありません。本当に魔神に三つの願いを叶えてもらうツアーですよ」
 ハージルは胸を張って答えたのであった。

「バイセさんに、コルタさんに、あなたがマチスさんと」
 メルクは点呼がてらに三人の顔と名前を一致させていった。
「添乗員さん」
 不意に右側にいた男が手を上げた。
「あっ、はい!」
 点呼表を慌てて見直す。「えーと……マチスさんですね。何ですか?」
「前から気にはなっていたのだが……」
 そう言って眼鏡を掛け直した男。マチス・クローダー、学校の教師と資料には書いてあるが、本当かどうかは不明。まあ、嘘をつく理由もないし、本当なんだろうけど……。
「なぜ、このツアーは目的地が書かれていないのだね?」
「えっ?それは……」
 メルクが慌てて資料を見る。確かに彼の言う通り、目的地には触れていない。もちろん付近の地図も掲載されていなかった。
「本当だ……」
「本当だって……。おいおい、添乗員さん。しっかりしてくれなきゃ困るなあ」
 真中にいた、丸々太った男が苦笑いで答えた。コルタ・バレッソ、都の大学に通う学生だそうだ。これほど太った人間というのは見たことが無いほど太っている彼。毎日どれ位の量を食べてるのか聞いてみたいものだ。
「僕の顔に何かついてるかい?」
「あっ、別に何でもありません。気にしないで下さい」
 メルクは両手をブンブン振った。
「それよりも、私の質問を……」
「ああ、そうでしたね。えっと……」
 曖昧な返事をしたものの、どう答えていいのか迷っていると……。
「それは私が答えましょう」
 ハージルが口を挟んできた。「案内役という仕事上、私が答えるべきですからね」
「お願いします!いいですよねマチスさん」
「私は答えてくれるなら誰でも……」
 マチスはそう言うと、眼鏡を掛け直した。
「実は、今回私達が向かっている場所は、人間が住んでいる世界ではないのです」
「人間の住んでいる世界じゃない?じゃあ、あの世に向かってるって訳か」
 そう言って鼻を鳴らしたのは、左側で寝転がっていた男である。バイセ・カルトーレ、住所不定、無職(よく、こんなツアーに参加するお金があったな……)
 普通、こういうタイプは超現実主義で、こんなツアーになど絶対参加するとは思えないのだが……。
「俺はまだ死ぬ気はないぜ」
「死後の世界には向かっていませんので、とりあえずは御安心下を。私達が向かっているのは精霊界という所です」
「精霊界って……あの精霊界のことかね?」
 マチスが驚いたような顔をすると、
「あの精霊界って、どの精霊界なんだい?」
 コルタが顔をニヤつかせて突っ込んだ。
「なんだ君は?精霊界も知らないとは、ちゃんと学校に行ってるのか?」
「し、知らない訳ないだろう。僕はおたくの言葉の少なさを指摘しようと思って……」
 コホン!
 ハージルが小さく咳をすると、会話が止まった。「……話を進めてよろしいですか?」
「……どうぞ」
「どうやら、お二人は精霊について多少は知識があるようなので、精霊自体の説明は省かせていただきますが……」
「ええ……構いません」
「精霊界というのは、精霊が住んでいる世界ということですが、その世界に風の精霊ジンという魔神がいます」
「それが僕の願いを叶える魔神なのかい?」
「そういうことです」
「精霊界の地図は載せられないと?」
「そうではありません。精霊界というのは精霊以外には何も存在していない世界ですから、特定の場所を示すことができないのです」
「精霊以外、存在していない世界……」
「特定の場所が示せない以上、目的地という概念も存在していません。それでも、あえて目的地を示すとすれば、それは魔神の存在している場所と言うことになりますが……」
「確かに、精霊しか存在してないのなら、精霊の存在する場所と言うしか無いが……」
 マチスが複雑な表情で唸っていると、
「目的地なんて、どうでもいいじゃねえか」 バイセが会話に割り込んできた。「どうせ、今回のツアーは魔神に願いを叶えてもらうこと以外、何もしねえんだからな」
「それはそうだが、あなたは我々が向かってる所を、知りたいと思わないのかね?」
「別に興味ないね、俺は願いさえ叶えてくれればいいんだ。俺達がどこに向かっているかを知った所で何の足しにもならない」
 バイセはそう言い捨てると、メルクの方に目を向けた。「ところで、添乗員さんよ。ここまで来て、念を押すようだが……」
「何ですか?」
「本当に魔神に会えるのか?」
「へっ?」
「本当に三つの願いを叶えてもらえるんだろうなって訊いてるんだよ」
「ハァ……そういうことは、ハージルさんに訊いたほうが……」
「俺はあんたの意見を訊いてるんだ」
「別にここで答えなくても、もうすぐ分かることじゃ……」
 言いかけて、メルクはピンと来た。(なるほど、こういう参加者もいるのか)
 どうやらこの男、魔神に願いを叶えてもらえるなんて最初っから信じてないのだ。魔神などいる訳がない、つまり嘘の広告を流したといって、脅しに掛けるつもりなのだろう。
(せこいことを考えるな……)
 メルクが小さくため息をつく。
「どうなんだ。添乗員さんよ」
「はいはい、魔神はいますよ。もちろん願いも叶えてもらえます」
 メルクは投げやりに言った。ここで否定しようがしまいが、結果は着けば同じこと。ここで言い争っても仕方がない。
「今の言葉。死ぬまで覚えておくからな」
「ええ、よく覚えておいて下さいね」
 メルクはそう言うと、バイセにニッコリ微笑み返したのであった。(絶対、死ぬまで覚えてろよ!)

 昼とも夜とも区別のつかない、青一色の世界の中、馬車は空間をたたずむかのように、ぽつんと存在していた。
 その横には、見上げるほどの大きさを持つ巨人が存在している。その巨人こそが、今回願いを叶えてくれる魔神。風の精霊王ジンであった。
 そして、馬車の中から、呆然とした顔が四つほど覗かせている。
 人間、思いも寄らないものに出くわすと、こんな顔になる……。それを的確に表現した例がここにあったのである。
「まさか、馬車に乗ったままで魔神と対面することになるとは思わなかったよ」
 呆然とした顔のまま、コルタが呟いた。
「まさしく、魔神の存在している場所というわけだね」
 納得した顔でマチスがうなずく。「どうやら、添乗員さんの言葉に、嘘はなかったみたいですな。バイセさん」
「へっ?ああ、そうみたいだな……」
 バイセは気が抜けた顔で返事する。「し、しかしだな……まだ、本当に願いを叶えてもらった訳じゃねえからな」
「そうですね」
 そう言って、バイセの言葉にうなずいたのは、唯一人魔神を見て顔色を変えなかったハージルであった。「それでは、早速願いを叶えてもらいましょう」
「早速って……こんな所でやるの?」
 メルクは驚きの声を上げる。確かに馬車以外は何もない空間だから、ここから出る訳には行かないのだが……。
「ええ、魔神の目を見て願い事を言うだけで大丈夫です。順番は誰からでも結構ですよ」
「誰からでもと言われても……」
 メルクは三人を見渡した。「じゃあ名簿の順番ということで、まずはバイセさんから」
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。突然、願い事と言われても、心の準備が……」
「まさか、このツアーに参加しておきながら、願い事を考えていなかった……なんてことはありませんよね?」
 メルクが皮肉を込めて言う。
「ば、馬鹿言うな!願い事の十や二十……」
「三つだけですよ」
「それはそうだが……そうだ!」
 バイセは突然、メルクを指さす。「まず、あんたが最初にやるべきじゃないのか?」
「私が?」
「あんた、このツアーの添乗員だろう。最初に例を見せるべきじゃないのか?」
「私は単なる添乗員ですから、願い事を叶えてもらう権利はありませんよ」
「別に構いませんよ」
 またもやハージルが言った。「添乗員であろうと、ツアー客であろうと、魔神に会った者には平等の権利がありますから」
「だってさ。よかったね添乗員さん」
 コルタがポンッとメルクの肩を叩いた。
「しかし……私だって心の準備が……」
「えーい!うるさい!誰でもいいなら私から行なう」
「……マチスさん」
「異存、ありませんな?」
「それはありませんが……」
「では早速……」
 マチスは一つ咳をすると、キッと魔神の目を見据えた。「私の最初の願いは……」
(願いは?)
 他の四人が心の中で聞き返す。
「世界を我が物に!」
「えーっ!」
 三人が同時に驚きの声を上げた。
「マチスさん、それは無理ってものですよ」
「そうだよ!魔神と言ったって、力に限度があるに決まってる!」
「そんな願いが、すんなり通る訳が……」
「……よかろう」
 低い声が上から響いてきた。それは紛れもなく、魔神の声であった。「そなたの第一の願い叶えてつかわす」
「そんな馬鹿な!」
 バイセが声を上げる。「魔神に頼んで、世界を統一した話なんて聞いたことが無い!」
「でも今、魔神は願いを叶えると……」
「じゃ、じゃあ、この世界は全てこの人の物になってしまったってことかい?」
「たぶん……あら、マチスさんは?」
 メルクはマチスの姿が無いことに気づいた。狭い馬車の中である、隠れる所なんか無いはずなのだが……。
「まさか!バイセさん?マチスさんをこの何もない空間に突き落としたんじゃ……」
「ば、馬鹿言え!さっきまでお前と話してたのに、そんなことできる訳ないだろうが!」
「そ、それもそうですね……」
「驚きのあまり、足を滑らせたんじゃ……」
「それは考えられますね。どうしましょうハージルさん」
「マチスさんは、馬車から落ちてなどいませんよ」
 ハージルはニコニコ顔で答える。
「それじゃ、どこに行ったんですか?」
「そこです」
「そこって……あの、ハージルさん?」
 メルクはハージルが指さした所を見て怪訝な顔をした。「魔神……ですか?」
「そうです」
 ハージルはニッコリ微笑む。「マチスさんは、魔神の体の一部になったのです」

「甘い話は裏があるとはよく言ったものだ」
 バイセがしみじみと言う。メルクもそれには同感であった。
 願いを叶えてもらうには代償が必要だったのである。それは願いによって得たものの重量分、その者の体を魔神の体の一部として捧げるというものであった。
「つまり、マチスさんは世界を手に入れた代わりに、自分の体を全て捧げたってこと?」
「そういうことです」
 ハージルは笑顔で答えた。「結局、世界はマチスさんの物になりましたが、マチスさんの存在が無くなってしまった以上、世界は誰の物でも無くなりましたがね」
「……屁理屈だ」
「さて、次は誰の番ですか?」
「誰の番って……こんなの見せられたのに、願いを叶えてもらおうと考える人がいる訳ないじゃないですか。ねえ、バイセさん!」
 メルクはバイセに目を向けた。しかし、彼は何かを考えているのか、黙りこくってる。
「バイセさん……」
 メルクがバイセの様子に戸惑っていると、
「次、僕が願いを言っていいかい?」
「コルタさん!」
 メルクは声を上げた。「本気ですか?願いを叶えて貰ったらマチスさんのようになるんですよ!」
「安心して下さい、添乗員さん。僕は重さのある物を要求する訳じゃありませんから」
「へっ?」
「それは心です」
「こ、心ですか?」
「そう心です。人の心に重量は無い!」
「それはそうですけど……」
 メルクは不安げな顔をする。(あの魔神に、その程度の屁理屈が通用するのかしら……)
「魔神よ、僕の願いはテューエちゃんの心だ。彼女を僕に振り向かせてくれ!」
 そう言った瞬間、あの丸々太った体が瞬時に消えてしまった。
「……どういうことですか?ハージルさん」
 メルクは恨めしい目でハージルを睨んだ。
「たぶんコルタさんの場合、心を要求した訳ですが、心というのはその人の行動全てを表現するものです。結局、魔神はコルタさんがその人の全てを欲したと解釈したのではないのでしょうか」
「それにしたって、あの重そうなコルタさんの体が全部消えると言うのは……」
「その人の体重がコルタさんより重かったのでしょう。きっと」
「コルタさんより重い人が?本当に?」
「でなければつじつまが合いませんから」
「フーム……コルタさんも願いを言ったらどうなるかを聞けば良かったのに」
「それは無理です。私は願い事を言った結果、どう作用したのかを説明することはできますが、実際願い事がどう作用するかは、私にも分からないのです」
「なんか都合いい考え方だな……」
「よし!決めたぞ」
「わっ!びっくりした。どうしたんです?バイセさん」
「願い事を決めたんだよ。次は俺が叶えて貰っていいか?」
「ええ、どうぞ構いませんよ」
 ハージルは笑みを崩さずに言った。
「悪いこと言わないからやめた方がいいよ。二人の結果を知らない訳じゃあるまいし」
「安心しな。俺はあいつらとは違ってささやかな願いしか言わねえからな」
 そう言うと、彼は魔神の目を見た。「最初の願い。それは俺が願いを叶えた時、まず両腕を引き換えにしてくれということだ」
「そなたの第一の願い叶えてつかわす」
 魔神がそう告げる。だが、バイセの体が消える様子は無かった。
「まあ、願いによってバイセさんは何も得てませんからね。バイセさんは体を捧げる必要が無いということです」
 ハージルはメルクに説明した。しかし、メルクの不安が消えた訳ではない。まだバイセには二つ願いが残っているのだから。
「次の願いだ」
 バイセは魔神の目を見る。「俺の両腕と同じ重さだけの金貨をくれ!」
 バイセが言った瞬間、彼のすぐ横に数百枚の金貨が現れた。そして、それと同時にバイセの両腕が消える。
「なっ!」
 バイセが驚きの声を上げた。「たったこれだけだと?二百枚位しか無いじゃねえか」
「それ位が妥当ですよ。人間の腕なんて、そう重いものではありませんから」
「なんだと!」
「ハージルさんの味方をする訳じゃ無いけど、私もそう思う」
 メルクはため息混じりに言った。「それよりどうするんです?たかだか金貨二百枚で自分の大事な腕を失っちゃって」
「あ、ああ安心しろ。それが最後の願いだ」
「まさか、腕を元に戻せと言うつもり?」
「その通り」
「やめた方がいいと思うけど……」
「大丈夫!もともと自分の体を元に戻すだけだからな。何も得たことにはならねえ」
「そうなんですか?」
 メルクは白けた目でハージルを見たが、
「さあ、どうでしょうね?」
 ハージルは微笑むだけであった。

「これはどういうことだよ!」
 バイセはハージルに怒鳴りつけた。バイセは願いが叶い、両腕を取り戻した。しかし、代わりに彼の両足が消えたのであった。
「何で、俺の足が消えるんだ。この腕はもともと俺の物だぞ」
「確かにそうかも知れませんが、先程の願いは両腕の無いバイセさんが両腕を欲した訳ですし……結局は両腕を得たと解釈されたのでは無いのでしょうか」
「屁理屈はいい。早く俺の足を返せ!」
「駄目ですよ。あなたは既に三つの願いを叶えているのですから……」
「うるさい!早く、早く……」
 バイセはハージルに突っかかりたかったのだろうが、両足を失ったため、それをすることすらできない。やがて力尽きたバイセは、その場でうつ伏せになってしまった。
「さて、これで全員の願いを叶え終わったことですし、元の世界に戻りましょうか?」
 ハージルはメルクに声を掛けた。だが、メルクは呆然とした顔を見せるだけであった。
「メルクさん?」
「……どうすればいいのかしら」
「えっ?」
「こんな状態で帰ったら、添乗員として、お父さんに会わす顔が無い!」
「しかし、彼らは望んでこういう結果になった訳ですし……」
「そうかなあ。私には屁理屈合戦に負けた結果、体を奪われたように見えるけど」
「屁理屈合戦とは違いますよ」
「そう。これは屁理屈合戦じゃない。ツアーなんだ。商売なんだ。大体、なんでお父さんはこんな変なツアーを企画したんだろう。普通の人間が考えることじゃないわ。私だったら絶対やらない。いや、それよりこのツアーを最初から知っていれば、何としてでも中止にさせていたに決まっているのに……」
 メルクはハッとした顔をする。「もし、最初から知っていれば……」
「どうしたのですか?」
「ちょっと黙ってて!もし……こんな屁理屈が通るのだとしたら……」
 メルクは突然考え込むようにブツブツ呟き始めた。そして……。
「ハージルさん!」
「何ですか?」
「私も三つの願い。叶えさせて貰う」
「えっ?それは別に構いませんが……」
「よし!それじゃ早速」
 メルクは魔神の目を見る。「まず一つ目の願い。今回のツアーを企画の段階で潰れたことにして」
「ははあ、過去を変える気ですね。でも、そんなこと言っても、三人は戻りませんよ。既にあなた達はここにいるのですから」
 ハージルが説明する。
「うん。たぶんそうだと思った」
 メルクは表情を変えずに言う。「でも、昨日の朝だったらどうなるのかな」
「えっ?」
「二つ目。今回のツアーに参加した人全てに、今回の出来事を、昨日の夢で見せて」
「昨日の夢で?」
 ハージルは訝しげな顔で呟いた。「メルクさん。どんなに魔神の力が強くても、既に起こった過去を変えることは不可能ですよ」
「大丈夫。私が変えるのは未来だから」
「未来?メルクさん。一体何を……」
「最後の願い」
 メルクは息を吸い込むと、宣言した。「時間を昨日の朝まで戻して!」

「……いやに現実感がある夢だった」
 ベッドから起き上がったメルクは小さく呟いた。ここはいつも見慣れている彼女の寝室であった。(魔神に三つの願いを叶えて貰う夢とは……随分と陳腐な夢を見たものだ)
「何を一人で笑っているのですか?」
「わっ!びっくりした。あ、あれ……」
「やっと起きられましたか。このまま起きなかったら、どうしようと思いましたよ」
「ハージルさん?じゃあ、あの夢は……」
「やはりあなたもでしたか」
 ハージルは呆れた顔を見せた。
「えっ?あなたもって……」
「こんなことになるんじゃないかと思って、アフター・ケアーに来たのですよ」
「アフター・ケアーって……」
「実はあなたに会う前に、今回のツアーに参加した人たちに会ってきたのですが、全員単なる夢だと思ってたんですよ」
「へえ……でも、ハージルさんにはその方が、都合いいんじゃないの?」
「全然よくありませんよ。もし、このまま放って置いたら、またメルクさんの願いでこの時間まで戻すことになるのですから」
「つまり同じことが無限に起こると……」
「そういうことです。全く、メルクさんが不完全な願いを叶えたせいで、私は散々でしたよ。時間ループを作ったことで、精霊王には叱られるし、罰としてしばらく力は使えなくなるし、こんなアフター・ケアーまで……」
「力って、何の力?」
「へっ?」
 ハージルが慌てた顔をする。「わ、私そんなこと言いましたかしら?」
「言ったわよ。力が使えないとか」
「気のせいですよ。と、とにかく今日の夢はある意味では正夢です。一応、グラード氏にはツアー中止と言っておきましたから、十二時には集合しないで下さいよ」
 ハージルはそう言うと、慌てるようにパッと姿を消したのであった。
「もしかして、ハージルさんの正体は……」
 メルクはそう言いかけた時、突然ドアが勢い良く開いた。
「すまん!メルク」
「お父さん!入る時はノックをしてと……」
「おお、それもすまん。しかし、それよりすまないことがあるのだ」
「……何よ」
「実はお前に添乗員をやってもらうつもりだった、ツアーの企画が潰れてしまったのだ」
「……そんな話聞いてないけど」
「あれ、そうだったか?しかし、まさか当日になって企画者から中止の申し立てが来るとは……参加者に何と言えば言いのか」
「それならたぶん大丈夫だよ」
 メルクは投げやりに言った。「魔神に会いに行くツアーなんか本気にする訳ないし、今日中に全員辞退を申し込んでくるよ」
「そうであればいいんだが……あれ、なんでお前がツアー内容を知っているんだ?」
「えっ?」
「さっき聞いてないとか言わなかったか?」
「そ、それは……」
 メルクは慌てた顔をする。「ちょっとした正夢を見たのよ」
「正夢?」
 メルクの父は訝しげな顔をする。
「そう、正夢よ!別にいいでしょう。どうせ潰れた企画なんだから」
 メルクは顔を赤らめて言うとベッドの中に潜り込んだ。
「おい、メルク。正夢というのはどういうことだ?ちゃんと説明しろ」
 メルクの父は彼女に怒鳴りつける。しかし、今のメルクには、この場をごまかす屁理屈など、全く思い浮かばなかったのだった。

(三つのお願いきいてもらおう・終わり)










PAGE TOP