ラッキーゴーストの一言


「藤崎さん……目を開けてよ」
 林田は抱きかかえている女性……藤崎一葉を軽く揺する。だが、一葉が目を開ける様子は全くない。「冗談だよね……目を開けてよ藤崎さん!」
「あの、冗談って……これは一体どういう冗談なのかしら?」
 彼女は小さく呟く。「林田君が抱きかかえているのって……どう見ても私よね。そしてそれを今、私がすぐ側で見ている。この状況が冗談で説明つけばいいんだけど」
「冗談では説明つかないね」
「えっ?」
 彼女が声のする方に目を向ける。そこには黒い帽子を被り、黒いマントを羽織っている少年が立っていた。「やあ、こんにちは」
「こんにちは……あの、君は?」
「御覧の通り。死神さ」
「死神?それってなんの……」
「冗談じゃないよ」
「だったら……」
「まあまあ、そう急がせないで。まず、君の今の状況を説明する前に、お決まりの言葉が先なんだから……えーと」
 突然少年はかしこまる。「これをもちまして、この世でのあなたの出番は全て終了いたしました。では、この世が終わるまであの世でゆっくりお休み下さい」

「あそこで横たわっているのは、君の体……と言うより、抜け殻と言った方がいいね。そして君はその中身」
「中身って……それじゃ私は?」
「幽霊という奴だね。それで、あの抜け殻はいわゆる死体という奴」
「つまり私は……死んじゃったの?」
「そう。死んじゃったの」
「……そうなんだ」
「あまり驚かないね?」
「実感が全然ないもの」
「でも、自分の死は理解してくれた?」
「一応は……ね」
「そう!よかった!理解してくれて」
 死神は安堵の表情を浮かべる。「実を言うと、ここで自分の死を理解してくれない人って結構いるんだよね。中にはそのまま逃げだして、浮遊霊になる奴もいたりして……あっさり理解してくれて、本当によかった」
「死んだ人間の前で、よかったはないんじゃないのかな……」
「ああ、ごめんごめん。とにかく、君が自分の死を理解してくれれば手続きは早いんだ。これなら今日の夜にはあの世へ……あれ?」
 突然、死神の懐から発信音が鳴る。「誰からかな」
 そう言うと、死神は懐から携帯電話らしき物を取り出し、通話を始める。「もしもし……あ、はい。今その現場ですけど……」
(そうか……私は死んだのか)
 彼女は、自分の死体に必死に呼びかけている林田を、遠くからぼんやりと眺める。(林田君……いくら呼んでも、私はもう目を開けることはないんだって。もうあなたと永遠に話すことはないのね……目の前にいるのに、さよならすらも告げられないのか……)
「……えっ?ああ、そうなんですか。では早速行います……はい、それでは失礼します」
 死神は通話を切ると、ニッコリと笑みを浮かべる。「やったね」
「えっ?」
 突然、死神に声を掛けられ彼女はハッとした表情をする。「どうしたの?」
「君が今月に入って、ちょうど一万人目の死者になったという知らせが入ったんだ。つまりラッキーゴーストに選ばれたわけ」
「ラッキーゴースト?それになると、なんか特典があるの?」
「ありますとも。なんと、生き返れる……」
「生き返れるの?」
「いや、そのチャンスがあるんだ」
「チャンス?」
「そうチャンス。題して……」
 死神はニッと笑う。「たった一言で未来を変えよう。うまく行ったらこの世に復帰。ダメなら残念あの世行き。普通の死者には与えられない、最初で最後の大チャンス!」

「さあ着いた。ここは見覚えあるよね。君の部屋だ」
「…………………………」
「時間は朝の五時。君が死ぬ、ちょうど十二時間前だね」
「…………………………」
「そして、ベッドに寝ているのが十二時間前の君。一葉ちゃんと」
「…………………………」
「……なに、さっきから黙ってるの?」
「…………………………」
「……あっ、そうかごめんごめん。僕が言ったことを忠実に守っているんだね」
「…………………………」
「厳密に言うと、生者に語りかけなければ声を出したことにはならないんだ」
「…………………………」
「だから、僕とはしゃべっても大丈夫なんだけれど……」
「…………………………」
「……そうだね。どういう間違いが起こるか分からないし、しゃべらない方がいいか」
「…………………………」
 彼女は無言で頷く。
「じゃあ、心の中で僕に語りかけてみてよ。それで僕に通じるから」
(……もしもし)
「はいはい」
(……よかった)
 彼女は息をつく。(君とコミュニケーションを取る方法がなくって、困ってたのよ)
「これでうっかり大事な一言を漏らすことはなくなったね」
(その通り。大事な一言だからこそ、慎重に行動を選ばなきゃ。これが私に残された、生き返れる最後のチャンスなんだから)
「その最後のチャンスを、うまく活用してくれることを祈っているよ。なにせ……」
(なにせ?)
「いや……なんでもないよ。気にしないで」
(しかし……チャンスとは言え、どうすればいいんだろう。幽霊である今の私にできることって、声を出すことだけなんでしょう?)
「そうだね」
(しかも、そのチャンスはたったの一回。つまり一言しか喋れない)
「そうだね」
(それだけで、未来を変えられるのかな?)
「可能性を追求してもしょうがないよ。結局君は、それだけでしか未来を変えられないんだから。そして、それが成功すれば……」
(生き返ることができる)
「そういうこと」
(未来を変える一言か……)
 彼女は、ベッドで静かに寝息をたてている一葉を見る。(いったい彼女に何を言えば、私の未来を変えることができるんだろうね)

「あっ!もうこんな時間」
 時計を見て、一葉は玄関に向かう。「そろそろ学校行ってくるね」
「お弁当は?」
「あっ忘れてた!」
 一葉は慌てて戻ると、母親から弁当を受け取る。「では今度こそ……」
「いいの?声掛けなくて?」
(なんて声掛けるの?)
「行くなとか、学校休めとか。突然、何処からか自分の声が聞こえてくる。勘の良い人なら、虫の知らせと受け取るかもしれないよ」
(残念だけど、私ってそんなに勘は良くないんだ。そもそも、虫の知らせを感じたことなんて一度もないし。言うだけ無駄だと思う)
「そうかなあ……ここで結構成功する人って多いんだけどな」
(失敗する人も多いんじゃない?)
「まあ、それは……ね」
「行って来まーす!」
 一葉は飛び出すように家を出る。
「……行っちゃったね」
(大丈夫。まだチャンスはあるって)
「あればいいけどね」
(あるある。まだ私には、残された時間が九時間もあるんだから)

「そう言って、時間はすでに十二時半。チャンスらしきチャンスはまるでなし」
(まあ授業中に、今日の未来を変える出来事なんて、起こるとは思わなかったけどね)
「このままじゃ、タイムリミットまで何にも起きそうにないんじゃないの?」
(起きることは起きるんだけどね)
「と言うと?」
(授業中、今日の私の行動を思い出してたんだ。それで、確かこれから私の未来を変える出来事が……あっ、あれかな?)
「どれ?」
 死神が教室に顔を向けると、一葉が友達とお昼を食べている光景が目に入る。そこに一人の女生徒が近づいてきた。
「ちょっといい?一葉」
「なに恵美?にやけた顔して」
「実はね……」
 そう言うと、女生徒は一葉の耳に顔を近づける。「……分かった?」
「……うん」
「なに?私にも教えてよ」
 側にいた一葉の友人が声を上げる。
「綾はいいのよ。じゃあね」
 そう言うと、女生徒は一葉達から離れる。
「何なんだい?」
 死神は彼女に問いかける。
(次の自習の時間。図書室脇の裏庭で待ってるって、伝言を受けたんだって)
「誰から?」
(林田君)
「って誰?」
(私が死んだ時、私の側にいた人)
「なるほど。それは大きな出来事だ」
(それで、確かこの後すぐに……)
「一葉。西沢先生が怒った顔で探してたよ」
 別の女生徒が教室に入るなり言う。「これじゃ資料の用意ができないとか……」
「あっ……いけない。ごめん。今すぐ行くって西沢先生に伝えておいて」
「私が言うより、早く行った方がいいんじゃないの?」
「それもそうだ」
 そう言うと、一葉は急いでお弁当を片づけて教室を出る。「じゃあね、綾ちゃん」
「今度は何だい?」
(ついて行けば分かるよ)
「一葉ちゃんは走っているよ。このままだと見失っちゃうんだけど」
(大丈夫。行き先は分かっているんだから)
「どこ?」
(社会科資料室)

「どうもすみませんでした」
 そう言うと、一葉は頭を下げる。「この度の不始末は、後で必ず何らかの形で穴埋めしますので、ここはなにとぞお怒りをお鎮めしていただきたく……」
「そんな大げさに誤らなくても、怒鳴ったりしないわよ」
「本当ですか?」
「本当です。だから早く、この資料室のドアの鍵を出しなさい」
「ああ、そうでした。待って下さい。ええっと……これです。これ!」
「確かに。これからは、使った鍵はちゃんと職員室に返しに来なさいね」
「ええ、それはもう。二度とこんなことがないように、心の底に深く刻んでおきます」
「……その心掛け、大事にしなさいね」
「もちろんです。では私はこれで……」
「ちょっと待ちなさい藤崎さん」
「……何でしょう」
「さっき、今回の不始末を穴埋めするとかなんとか言ってたわね」
「えっ?そんなこと……」
「言いました。それで、その穴埋めを今してくれると嬉しいんだけど」
「でも、これから授業が……」
「自習の筈よね。新井先生、出張中だし」
「ですけど、自習も授業の一環で……」
「新井先生には、後で私から話しておくわ。と言うわけで、資料の整理手伝ってね」
「……分かりました」
 一葉は小さくため息をつく。
(と言うわけで、私はこれから一時間近く。資料整理をする羽目になったのでした)
「一葉ちゃんご苦労様。だけど、このままだと林田君の方には行けないね?」
(その通り。で、ここで選択)
「このまま資料整理を手伝い続けるか、途中で逃げ出すかだね。どっちを取ったの?」
(……後者。暫くしてから、お腹が痛くなった振りをするんだ。だからそこで一言。これは演技ですって、おどけた声で言えば)
「嘘がバレて逃げられなくなる」
(その結果、未来は変わるってこと)

「あの……先生……」
「ん?なにかしら?藤崎さん」
「実は……」
 突然、一葉は小さくうずくまる。「お腹の調子が……ちょっと悪いみたいで」
「あらあら、それは大変ね」
 言いながら西沢先生は白い目を向ける。それもその筈で……
「下手な演技だね」
(言わないで……これでも本人は、迫真の演技!なんて思っているんだから)
「それで、今は客観的に見てどう思う?」
(猿芝居以下。これでよく、西沢先生も引っかかったもんだ)
「あれはどう見ても、一葉ちゃんの演技を真に受けたようには見えないね」
(本当だ……笑いをこらえている)
「どうして、先生は一葉ちゃんの演技につき合っているんだろう」
(……答えは簡単。もう殆ど、資料整理のめどがついているってことね)
「じゃあ、これが演技だと言っても……」
(あまり未来に影響はないみたいね)
「お腹……お腹が……」
「分かった分かった。保健室でも御手洗いでもゆっくり行ってらっしゃい」
「そ……それでは失礼します。ああ、資料整理を最後まで手伝いたかったのに……残念」
 一葉は資料室を後にする。そして角を曲がった瞬間、裏庭へとダッシュする。
(さあ、私達も行こう)
「うん……」
(どうしたの?)
「資料室から、笑い声が聞こえてくるけど」
(……聞かなかったことにする)

「遅くなってごめん!その……西沢先生に捕まっちゃって、それで資料整理してて……」
「気にしなくていいよ。呼び出したのは僕の方なんだから」
「そう言ってくれると、とてもありがたいんだけど……それで林田君。用ってのは?」
「用って程のことじゃないんだ。うん……そう別に大した用じゃ……」
「えっ?」
「いや、僕にとっては大した用であって……えっと、その……だからね!」
「ハイ!」
「笑わないで聞いて欲しいんだ」
「……はい」
「藤崎さんは、僕のことクラスメイトの一人としてしか、見てないと思うけど……」
「はい……」
「えっ?」
「あっ……じゃなくて……ううん!そんなことなくもなくて、その……続けて!」
「えっと、その……僕は藤崎さんのこと、そう言う風に考えられないっていうか……」
「うん……」
「要するに……僕は藤崎さんのことが……」
「うん」
「つまり……藤崎さんを……」
「うん!」
「……その……映画!」
「えっ?」
「映画がね!……見たい映画があるんだ!」
「うん……」
「見に行かない」
「べ、別にいいけど……綾ちゃんと恵美に訊かないと……」
「そうじゃなくって!」
「えっ?」
「そうじゃなくって、僕と藤崎さんの二人だけで……駄目かな?」
「……駄目じゃないけど」
「じゃ、じゃあいいの?」
「うん……いいよ」
 一葉は小さくつぶやく。
「ハハッ……一葉ちゃん顔を真っ赤にしてうつむいているよ。あれ?どうしたの?君まで顔をうつむかせて」
(恥ずかしくて見てられないの!)
 彼女はかぶりを振る。(恥ずかしい!さっきの下手な演技をしていた私も恥ずかしかったけれど、これはその数倍恥ずかしい!)
「まあ色恋沙汰の会話なんて、第三者から見たら恥ずかしい言葉の連発だからね」
(その恥ずかしい会話をしている自分を見させられるなんて、拷問と変わらないよ)
「見させられるなんて、別に誰も強要しているわけじゃないのに……見るのやめれば?」
(でも、もしかしたらここでチャンスがあるかも知れないじゃない!)
「そうだね」
(じゃあ、見てるしかないじゃない)
「そうだね」
(わかったわよ。黙って見るわよ。黙って見ればいいんでしょう)
「黙っている必要はないよ。チャンスがあったら、ズバッと一言声を出さなきゃ」
(ズバッとなにを?)
「あんたなんか大嫌い!とか」
(言ってどうなるの?)
「林田君が振られる」
(誰に?)
「一葉ちゃんに」
(そんなことできないよ!)
「なんで?ここで林田君を振れば、未来が変わることは間違いない。チャンスなんだよ」
(だって……その……)
「その、なに?」
(私は林田君のことが……)
「林田君のことが?」
(……!君、もしかして!)
「もしかして……なんだい?」
(こ、心を読んだのね?)
「そんなコトしなくても一目瞭然だね」
(……知っててからかうなんて最低!)
「最低ね……まあ、いいけど。でも、大嫌いと言えっていうのは本気だよ。色恋沙汰でチャンスを逃したら、それ自体もできなくなるんだからね」
(でも……やっぱりできないよ)
 彼女は真っ赤な顔でうんうん頷いてる一葉を見る。(舞い上がってるな……私)
「じゃあ、この前みんなで集まった……」
「あそこね。今度は遅れないで行くから」
「遅れてもいいよ。来てくれるだけでいいんだ。ずっと……ずっと待ってるから!」
 そう言うと、林田はその場から走り去る。
「走り去る少年。それを見送りながら真っ赤な顔を小さく頷かせる少女……青春してるね一葉ちゃん。さて、大きなチャンスが文字通り走り去って行っちゃったけど……」
(大丈夫。チャンスはまだあるって)
「まだね……あと何が起こるの?」
(あとは残りの授業を受けて、家に帰って支度して、林田君と再会して……)
「あの世へ行くと」
(そうあの世へ行く……って、縁起でもないこと言わないで!)
「事実だもの。未来が変わらなければね。でもそうか、まだチャンスはあるんだ」
(えっ?いつ?)
「林田君にもう一度会うんでしょう?会った瞬間。やっぱり大嫌いとか言えば……でも、ちょっとインパクトが弱くなるかな」
(関係ないよ。そんなこと言うつもり、全然ないんだから)

「そうも言ってられなくなってきたね」
(まだ……まだチャンスはあるって)
「そう言い続けてた結果、チャンスのないまま、林田君に再会した一葉ちゃん。二人で映画館へ向かっていると……」
(解説しなくても分かってる)
「なら、これは分かってる?映画館に着いたら一葉ちゃんは死ぬよ。ほぼ間違いなくね」
(……一つ訊きたいんだけど)
「なに?」
(私の死因ってなんなの?突然のことだったから、何が起きたのかよく分からなくって)
「ふむ。なら解説しましょう。君が死ぬ場所は映画館のチケット売場。君は林田君がチケットを購入しているのをぼーっと見ている」
(ぼーっとは余計よ)
「で、そこに林田君に向かって、暴走した一台のスクーターが突っ込んでくる」
(それを見た私が、林田君に向かって……)
「タックルをするんだよね。それで林田君は吹っ飛ばされる」
(そして私は、暴走バイクに轢かれて……)
「ないよ」
(えっ?)
「君も、林田君と一緒に避けられたんだ。だけどその結果、運悪く後頭部を強く打ち付けて、あっけなく即死と」
(即死……)
「だから、この事故に巻き込まれる前に、未来を変えなくちゃならないね。今更だけど」
(……そうだね)
「で、そのチャンスはあるの?」
(……ある)
「本当に?」
(本当に。例えば……あの二人に向かって映画館に行くなって叫ぶのはどうかな?)
「どうって訊かれても、そうだな……こんな人の往来が激しい所で、一葉ちゃんが自分に投げかけられた言葉だと思ってくれるかな?確か一葉ちゃんは鈍感なんでしょう」
(勘が良い方じゃないだけ。でも確かにこれは無理かな……)
「でも、待てよ。林田君ならあるいは……」
(えっ?林田君?)
「そう。だけど、この時間帯で未来を変えるとなると、余程強烈な言葉でないと……」
(それって……どうしても私に、林田君なんか大嫌いと言わせたいと?)
「そんなこと思ってないよ。その程度で未来が変わる時間帯はもう過ぎちゃったもの。それ以上のインパクトを持った言葉じゃなくっちゃ、無駄な一言になるのは間違いないね」
(それ以上の言葉ね……)
「何か良い言葉浮かんだ?」
(……浮かばない)
「あの世行き決定かな?」
(決定……かしら)
「ありゃ?諦めたの?」
(別に諦めたわけじゃないよ)
「でも、全然焦った感じがしないし……」
(焦っても、未来は変わらないからね)
「そりゃそうだ。あっ、とうとう現場であるチケット売場に着いたみたいだね。どうやら時間的にも最後のチャンスになったようだ。何か一言、何でもいいから言ってみれば?」
(……そうだね)
「林田君なんか大嫌い!……なんてどう?」
(それだけは絶ー対言わない!)
 彼女は死神に笑みを浮かべると、一葉達に近づく。(さて、何を言おうかな)
 彼女は一葉を一瞥する。(私にとって未来を変える言葉か……たぶん何を言っても無駄だろうな。今までの人生の中で霊感ヤマ勘第六感、一つも感じなかった私が、幽霊である私の声に素直に反応するとは思えないもの)
 次に彼女は林田に目を向ける。(林田君……どんな言葉なら危険を察知してくれる?それとも私なんかの声じゃ、何を言っても無駄なのかな。そう、たぶんこれは避けられない事故になるんだ。そして変わらない未来。私はこのままあの世へ行く。林田君にさよならも言えないまま……ん?ちょっと待って!)
 突然、彼女は顔を閃かせる。(そうだ!言えるじゃない!今なら私の声が林田君に届くもの。そう、林田君に最後に別れを告げて私は旅立つの。それで私に心残りはなくなる!となると、別れの言葉を考えないと……)
 彼女は頭を抱えると、必死に頭を働かせ始める。(例えば、さよなら林田君。……ううん、ここは気軽にバイバイの方がいいよね。そうそう、私の想いも伝えとかないと……ってことは、最高に好きでした。バイバイ林田君。よし!これで行こう!それでは……)
 彼女が声を出そうとしたその時、二つの動く影が彼女の目に飛び込んできた。……そして一言。「恵美と綾ちゃん!」
 叫んだ瞬間、彼女は慌てて口元を手で押さえる。そしてその言葉に反応したのは……
「あちゃー……見つかっちゃったか」
「だから、顔を出しすぎだって言ったのよ」
 ばつが悪そうな顔で、恵美と綾が物陰から姿を現す。「しかし、よく背後にいた私達のことが分かったわね」
 恵美が一葉の肩を叩くと、体をビクッとさせて一葉が振り向く。「め、恵美?それに綾ちゃんまで……ぐ、偶然ねこんなところで」
「偶然って……皮肉のつもり?そんなこと言わなくても観念するわよ」
「観念って?いったい……」
「あのね……隠れてる私達を見つけた上に大声上げといて、偶然もなにもないでしょう」
「えっ?隠れてたって、どこに?」
「だからそこの物陰に……えっ?もしかして見つかってなかったの?」
「どういうこと?」
「あちゃー!素直に出てきて損した!」
「でもそれじゃ、あれは誰の声なのかな?」
「誰って……私は一葉だと思ってたから」
「私も!私も一葉ちゃんの声だと思った」
「二人とも、何を訳の分からないこと……」
「あっ!後ろ危ないよ」
「えっ?」
 恵美に言われて、慌てて振り向いた一葉の目に飛び込んできたのは、林田がスクーターに轢かれる光景であった。

「林田君……目を開けてよ」
 一葉は呟くと、林田を抱きかかえたまま軽く揺する。「冗談でしょう……目を開けてよ林田くん!」
「う……うん……あれ?藤崎さん?」
「林田君?……よかった」
「よかったって……あれ?なんで泣いているの藤崎さん」
「だって……林田君がバイクに轢かれて……てっきり私死んじゃったのかと……」
「……そうか。でも大丈夫だよ。ほらこうやって、藤崎さんと話しているじゃないか」
「そうだけど……でも、ごめんなさい」
「なんだい突然」
「私よそ見してたから……私が恵美達と話してて、よそ見してなければ林田君を助けられたかも……そうすればもしかしたら……」
「もしかしたら、藤崎さんが轢かれてたかもしれないね」
「えっ?」
「可能性の問題だよ。僕は事故にあったけど今生きている。もし、藤崎さんがよそ見をしていなかったら、藤崎さんが助けに入って事故にあって……だからさ。僕は藤崎さんがよそ見してて良かったと思うよ」
「……林田君」
「一葉!救急車が来たよ!一緒に乗って!」
「分かった恵美。……お願い!絶対死なないで林田君!私が……私がよそ見してて良かったって、笑い話にするんだから!」
「そうだね。絶対笑い話にしよう」
「絶対、絶対、絶対なんだから!」
 やがて、救急車は二人を乗せ、病院へと向かって走って行った。
「よそ見してくれて良かった」
 ここの現場で、一人にこにこしながら死神は独り言を言った。もちろん彼の存在に、彼の声に気づく者はいない。そう、幽霊だった彼女も、今は既にいないのだから。「よそ見したため林田君は怪我をして、一葉ちゃんは死なずにすんだ。結果、一人の幽霊をあの世に送る手続きをしないですむだけ、僕には特別休暇ができたとさ。めでたしめでたしと。……でも、あんな事故とは全く関係のない一言で、ここまで未来が変わるとは思わなかったよ。いや、本当に面白かった。また今回みたいな、ラッキーゴーストの一言の結果を見られると嬉しいんだけどな……そうだね。きっと見られる。だって僕は死神なんだから」
 死神が小さく頷くと、突然黒いマントを翻す。そして次の瞬間、彼の姿は忽然と消えてしまった。ただ一言、言葉を残して……
「だから死神はやめられない!」

(ラッキーゴーストの一言・終わり)










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